『日本の同時代小説』斎藤美奈子著(岩波新書)

言われてみればたしかに、最近の文学までを扱っている文学史の本っていうのは読んだことがない。著者も言うように、中村光夫も奥野健男も篠田一士もドナルド・キーンも、カバーしてるのは1960年代末まで。加藤周一のも、そう。それから約50年。社会のワク組みも溶融し、文学と呼ばれるものも流動化した。それこそ後世の文学史家はこの50年を「そもそも歴史がなくなった最初の時代」とかなんとか書くかもしれない。現れてはすぐに消費されて消える<永遠の現在>だけになった、と。しかしそのことへの物足りなさから、著者は果敢にも文学史空白のこの50年間の文学を同時代小説として性格付けしていこうとするのである。別の場所でだれかが「読みも読んだり、書きも書いたり」と評していたが、まったくそのとおり。いったい、この人以外の誰が、こんな無謀なことに挑戦するだろうかという思いがする。私にしたって読んできたのは、両村上と高橋源一郎や川上弘美ぐらいまでか。あとの膨大な作家の膨大な作品の数々は、たしかにどこかで「社会現象」や「商品」としての名前を聞いてきただけの存在だ。そのゲンダイブンガクの森を斎藤美奈子は疾走する。

その森の中から、廃れてきたはずの「私小説」や「プロレタリア文学」が形を変えて現代も生き延びていること、JKなどと呼ばれることも含めての「少女」の存在の大きさ、そして井上ひさしの『吉里吉里人』から中村文則の『R帝国』まで「国家論」を含む「架空の国の歴史」の系譜があること、などを骨太に指摘していく。

そして、相変わらずといっていいのだろうか。特に男性作家に対するおちょくり方の芸にさらに磨きがかかってきているようだ。「保坂和志が『ホンワカ系』、藤沢周が『トンガリ系』なら、町田康は『ウダウダ系』。」あるいは、村上龍の「『ラブ&ポップ』は渋谷の女子高生に取材した、論評のしようがないオヤジ目線の風俗小説です。」とか「DV男は処刑すればいいという緒方夫人や青豆の認識は、復讐の仕方としては最低最悪で(現実を見誤るという点では有害ですらあります)、村上春樹がいかにこうした問題に不注意かを示しているのです」とか「松浦寿輝は、偏差値高い系、気が滅入る系の実験小説の書き手でしたが」とか。思わず笑ってしまうほどのツッパリ芸は健在だ。

と言っても本書後半の筆致はしだいに重くなって行く。それは今、私たちが直面している「現実」を、作家たちが満身創痍で表現しようとしているからだ。「『希望の国のエクソダス』の語り手はいいます。<中流という階級が消滅しつつあった。経済格差に慣れていない大多数の日本人にとって、それは耐えがたいことだった。八割から九割の国民が没落感に囚われ、羨望と嫉妬が露わになった。人々は怒りに駆り立てられ、無力感に襲われた。当然のことのように新しいナショナリズムが起こり、いくつかの新右翼の政党が生まれ、無力感に沈む人々は新興宗教に吸い込まれていった。>」村上龍のこの小説は20年前の発表。まるで今のことのようだ。

そして、2011年3月11日がやってくる。

震災後の小説の特徴は、明らかに「ディストピア小説の時代」だと著者は言う。「ディストピア」とは「ユートピア」の反対語。もちろんディストピアの流行は原発事故だけが原因ではなく、時代の空気そのものが誘発要因で、それは現実の厳しさに響きあうものとして出てきたもの。ではあるのだが、そのディストピア小説は一方で読後絶望しか残さないので、ただでさえ絶望的な現実に絶望の上塗りをしてどうすんだ、という批判も生まれてくる。厳しい時代に厳しい小説なんか誰も読みたかない、むしろ読者は「愛と涙と感動」を求めて『セカチュー』や『永遠の0』あるいは『難病もの』や『障害者もの』を、こぞって読んでいるではないか。

著者はこういう声に応えるように『東日本大震災後文学論』の書き手の一人・飯田一史の言葉を掲げる。<震災後文学は「被」の文学だった。被災者・被害者・被曝者ばかりを描いてきた。直接的な設定としての被災者・被害者・被曝者だけではなく、精神的な意味でのそれらを、である。しかし本当は、その先を示さなければならなかった。道を自らきりひらき、対話のなかで歩む姿を描くことも、必要だったのだ。>

そして最後に著者はこの本をこう締めくくる。「絶望をばらまくだけでは何も変わらない。せめて『一矢報いる姿勢』だけでもみせてほしい。」と。そして、「冒険を恐れるな。次代の文学史はそこからはじまるように思います。」とも。

追悼 加藤典洋さん

 

追悼 加藤典洋さん
ツイッターでは、加藤さんが亡くなった当日、ショックを受けたままに書き散らしてしまったので、ここではもう少し落ち着いて書いてみる。
加藤さんが亡くなるなんて本当に考えてもみなかった。それこそ数日前に『太宰と井伏』の文庫本を買ってきて読んでいたのだが、入院されていたとはいえ、その入院先で「文芸文庫版のためのあとがき」も書き、そのあとの「年譜」にも最近の様子がくわしく書かれていたので、またきっと旺盛な執筆活動が再開されるのだろうと思っていた。肉親の死以外でこれほどのショックを受けるというのは珍しい。しかも一度も会ったことがない人なのに。
細い道を歩んできた人だと思う。全共闘運動の後、一度言葉を失っている人でもある。その沈黙の後に、少しづつ文章を発表してきた。これは村上春樹だってそうだろうし、中野翠も糸井重里も高橋源一郎だってそうだろう。もっと世間に流通している発想で書けば簡単だっただろうが、そうはしなかった。いつも根本から考え起こした。数年前の『戦後入門』もそういう本だったが、原武史だったかが書評で「この人を孤立させてはならない」という意味のことを書いていて、ほんとにそうだ、と思った記憶がある。
この人の考えの、何がそれほど貴重なのだろう。
一つには、新しい「公共性」を作り出すためには、一見それとは逆の、人間の「私利私欲」の底の底まで降りていき、それをつきつめていくことが大事なのだ、という考え方だ。そこから「公的なもの」が出てくるのだ、と。彼はそのことを、歴史や哲学や文学作品を通して繰り返し繰り返し根拠づけようとしてきた。加藤さんの最も難解な本だと思われる『戦後的思考』(講談社文芸文庫)もその試みとして読むことができると思う。戦争の時は「滅私奉公」が叫ばれたし、革命運動や反差別の運動の中にも、はたまたグローバル企業の働き方のロールモデルや「学校の部活」にさえ「公共」という名の下で同じ精神の形が要求されている。そういう精神の共同体の行きつく先は「ファシズム」以外にはないのに、私たちはいとも簡単にその精神にからめとられてしまう存在でもある。むしろ、健全で柔軟な「私性」を持つこと、そこから「公共」を作っていくことが大事だとする考え方だろう。
それから、それとつながっているとは思うのだが、「正しいこと」というのは、むしろ自分たちの「まちがい」から、その痛切なものから生み出されるものであって、「道徳的な正しさ」を積み重ねていくだけでは決して「正しさ」には到達しないということ。そういう「正しさ」というのはむしろ人を裁く思想になりこそすれ、生き延びていくための思想にはならないのではないか。
非常に雑駁ではあるが、私はこのような加藤典洋さんの考え方に、とても貴重なものを感じ取ってきたのである。
と、このように書くと、えらく理屈っぽく感じられるかもしれないが、実際に読んでみるとそんなことはない、たとえば加藤さんの書くポートレートなどは、ある人物の一瞬のしぐさを描くことで、その人の仕事の本質を、その人の本を読むのとは別のしかたで大きく照らし出す芸があった。また、鶴見俊輔の本に寄せて「火気注意」と「火の用心」の違いを説明するところからその本の特徴をつかみだしているように、たとえ話もとても卓抜だった。
彼の死が私に与えたショックの中には、どこかで自分が「この人を孤立させてしまった」ために彼の死期を早めてしまったのではないか、ということが含まれていたのかもしれない。そう思わせるような人だった。
加藤さんのご冥福を心からお祈りいたします。