読まずじまいの挨拶原稿

2日前、子どもたちが軽井沢で結婚式をあげた。当人たちを含め、ほとんどの人間にとってはじめての軽井沢であり、普段の暮らしとは違う新鮮な環境の中での式になった。私は親族代表として最後に挨拶をする役目だったので、原稿を準備していたのだが、当日は心のこもった挨拶が続き、私もその「場」に感応したことを言ったほうがよいと思い、準備していた原稿は読まずじまいに挨拶をした。その場はそれでよかったと思ったが、帰宅後、用意した原稿もまた、彼らに伝えたいことでもあったと思い直したので、ここに載せておく。

 

結婚式 親族代表あいさつ

今日は、遠路はるばる二人の結婚式にお越しいただき、ありがとうございました。といっても、私自身もそうでありまして、つまりは二人を含めて、ここにいる私たちのほとんど全員が遠路はるばるこの地にやってきまして、普段の生活とはまったくちがう、とても新鮮なハレの時間を、今日は送ってまいりました。

そして、すばらしい料理を含め、このような場所を用意してくださったユカワタンのスタッフの方、本当にありがとうございました。

今日は、少し恥ずかしいのですけど、二人に詩を贈ろうと思います。この詩は、たぶんみなさんよくご存じのはずです。結婚式での定番の詩だと言われているのですが、実は、私は今までいろんな結婚式に出てきたんですけど、この詩を聞いたことは一度もありません。ですから、今日はそれを読んでみたいと思います。

私が、なぜこの詩を二人に贈ろうと思ったかといいますと、それは二人が「医療」に関わる仕事をしているからです。

「医療」というのは「正しさ」を求められる仕事です。それは、まず患者さんたちからの声として現れますし、社会からも、そして日々職員同士の間でも、仕事のもっとも大切なこととして、追求されていることだと思います。それは、もちろん必要なことなのですが、今の世の中、その「正しさを求める声」が、なんだか少しへんなものにもなってきて「いのちを守るための正しさ」が、いつのまにか「相手をやっつけるための正しさ」になって、刃物のようにお互い相手を傷つけてしまうことも、増えてきてるんじゃないかと思います。そういう「へんな正しさ」が、これから二人が作っていく家庭の中にまで入りこんでほしくないな、と思ってこの詩を贈ろうと思いました。吉野弘の『祝婚歌』という詩です。

 

祝婚歌

二人が睦まじくいるためには

愚かでいるほうがいい

立派すぎないほうがいい

立派すぎることは

長持ちしないことだと気付いているほうがいい

完璧をめざさないほうがいい

完璧なんて不自然なことだと

うそぶいているほうがいい

二人のうちどちらかが

ふざけているほうがいい

ずっこけているほうがいい

互いに非難することがあっても

非難できる資格が自分にあったかどうか

あとで

疑わしくなるほうがいい

正しいことを言うときは

少しひかえめにするほうがいい

正しいことを言うときは

相手を傷つけやすいものだと

気付いているほうがいい

立派でありたいとか

正しくありたいとかいう

無理な緊張には

色目を使わず

ゆったり ゆたかに

光を浴びているほうがいい

健康で 風に吹かれながら

生きていることのなつかしさに

ふと 胸が熱くなる

そんな日があってもいい

そして

なぜ胸が熱くなるのか

黙っていても

二人にはわかるのであってほしい

 

こういうことを大事に思いながら、新しい暮らしをつくっていってほしいと思います。

私たちも、そういう二人を応援していきたいと思います。

今日は、ほんとうに、ありがとうございました。

「私がしたい本屋―いまの時点で」

◎ 屋号 『本屋UNLEARN(あんらーん)』

この屋号を見て、あえて「学ばない」というツッパッた意味の名前にした、と受け止める人もいると思うので、ひとこと説明をします。これは、もとはヘレン・ケラーが哲学者の鶴見俊輔さんに語った言葉です。その時、鶴見さんはアメリカのハーバード大学の学生でした。今から80年前のことです。

「17歳の夏休み、ニューヨークの日本図書館ではたらいているときに、ヘレン・ケラーが手話の通訳とともにその図書館をたずねてきた。館長が、宮城道雄の『春の海』のレコードをかけると、ヘレン・ケラーは、蓄音機に手をふれて、そのふるえから何かを感じて、音楽についての感想を話し、偶然、私に質問して、私がハーヴァードの学生だとこたえると、自分はそのとなりのラドクリフ女子大学に行った、そこでたくさんのことを『まなんだ』が、それからあとたくさん『まなびほぐさ』なければならなかった、と言った。
たくさんのことをまなび(LEARN)、たくさんのことをまなびほぐす(UNLEARN)。それは型どおりのセーターをまず編み、次に、もう一度もとの毛糸にもどしてから、自分の体型にあわせて編みなおすという状景を呼びさました。」

生きていくためには、ときにUNLEARNの方がLEARNより激しいものがありそうです。チマタでの自信に満ちあふれた攻撃的で型どおりの物言い、そういうものの中にあるバブルやフェイクを洗い流し、自分を裏切らない自分自身のヴォイスや考えをつくっていける場所にしたい。それが、私が本屋を開きたいと思った理由です。

◎ ロゴ

童話作家の長田真作さんにお願いをした結果、ロゴをつくっていただけることになりました。楽しみにしています。

◎ 本屋の特徴

〇 店舗ー約15坪、できればその2階を住居に。

〇 本の品ぞろえー約3000冊(多くの新刊本と少しの古本)    <人文書><医食住(生活)の本><地域本、リトルプレス、zine>等。

〇 SNSの活用ーできるだけ店の本の紹介を絶やすことなくアップし続ける。そして、週1回くらいの割合で、本にまつわる文章を載せ続ける。

〇 イベントー友人が催すミニコンサートや、講師を招いてのトークショーなど、無理のない範囲で宣伝も兼ねて行いたい。

〇 本屋と掛け算するものーいまのところ、私にとって縁があり、昨年夏の西日本豪雨災害で激甚な被害を受けたある地域の地ビールを、支援のために販売する。「本との掛け算」はとても大事なことなのですが、いまの私にはそれ以上の知恵はありません。工夫していきたいです。

◎ 簡単な事業計画

初期費用は、自己資金で用意します。
売上は、店を開くからには100万円以上を目指したい。とはいえ、100万円を売り上げても、利益は20万円ちょっと。としたら、それだけで生活費のすべてをまかなうことはできません。
ところが、それでも月100万円はまだ希望的観測の範囲であり、実際は、特に最初などは、月50万円の売り上げもないのではないか。赤字にならないよう、工夫していきます。
もちろん、始める以上、やめるつもりはまったくありません。屋号とロゴのプライドにかけても「口笛を吹きながら、キャベツばかりかじりながら」でも本屋を続けたいです。

◎ 店舗物件について

ずっと探しています。実は先週、何回も探していたある通りで、突然、気に入った物件(今までのベスト)が出てきました。必死で交渉したのですが、わずかな時間差で負けました。
さらに、工務店の人と物件を見ながら検討していく予定です。

◎ 取次との契約について

「本屋講座」の研修で東京に行った折り、取次の八木書店をはじめとする「神田村」の何店かを廻ったり「子どもの文化普及協会」さんに行き、話をお伺いしたりしています。ですから、その組み合わせになると思いますが、もう一度、日販の人とダメもとで交渉した上で決めたいと思います。

◎ いつ、開店?

とりあえず、自分で〆切をつくります。来年の1月で私は61歳になります。(私は、好きな作家である村上春樹さんと誕生日が10年違いの同じ月日なんです。その村上春樹さんが好きで私も好きな作家ジャック・ロンドンの誕生日も同じ月日です)。
早ければ、その誕生日までに。遅くとも、来年の5月の連休までには、わが『本屋UNLEARN』 を開店したいと思います。できなかったら、ごめんなさいですが、まあ、一応の目標です。
これを読んで、なにか、お気づきになるような点でもございましたら、どうか遠慮なくご連絡ください。では。

『アブサン物語』村松友視著

 

「おお、なつかしいなあ」と思った。何が? この本の中の時代の空気感が。

もちろん、まずは村松友視という名前自体の懐かしさでこの古本を買ったのだが、この中で著者と交流しているたとえば、赤瀬川原平、糸井重里、南伸坊、篠原勝之などといった名前は、私にとっては、自分が学生時代を過ごした東京の70年代の終わりから80年代前半にかけての空気そのもののような名前である。アブサンというネコと村松夫妻との20年に及ぶつきあいの日々が綴られたこの本のBGMには、その当時の空気感がしっかりと流れている。

この本はネコ好きにとってはたまらない1冊なのかもしれないが、そこまでではない私のようなものからすれば、この本の魅力というのは、アブサンに対する著者のつきあい方の迷いといった繊細な部分なのである。たとえば、多くの人が「あらあら、いけまちぇんねえ」などと、ネコを子どものように扱う言葉遣いをすることに著者は抵抗を感じてしまう。それは、人間の子どもに失礼なのではなく、アブサンに失礼じゃないか。あくまでアブサンは尊敬すべき伴侶であって、子どもの代用品なんかじゃない、と。だから、著者は、本当の友人に対するように「これはまあ話さなくてもいいことなんだけれど、しかし話さなければ伝わらないわけで……」などと「対等」に話しかけたりなんぞするのであるが、そのとたんアブサンは迷惑そうに、どこかに行ってしまう。いったいどういう対し方をすればいいのか、悩んでしまうのである。私にはそんな場面がなんともいえず面白い。

また著者は、自意識過剰でヘリクツ屋でもある。

「あのね、ネコっていうのは表情のあらわし方が屈折していてね、その場の様子だけじゃ判らないんだよ」(中略)「そっちの方が屈折しているんじゃない?」「俺が屈折しているんじゃないよ」「そうかな……」「屈折しているのが俺なんだ」「また始まった」カミさんは、あきれ顔で溜息をついた。

その自意識過剰は、ときにヘタレの捨て身の芸にもなる。

「こういうとき、カンニング気分でひそかに辞書を引くのが私の習慣になっている。辞書を引いて事が明らかになると、まるでそのことを十年も前から知っていたように喋り出す……これがもう私の性(さが)といってよいほど定着しているのだ。まったく、いろんなことをごまかして世間様への体裁をつくりまくり、己れの正体がバレないよう、日夜おずおずと上目遣いで作家をやっているワタクシでございます。」

アブサンは著者夫妻の家で21年間をともに過ごした後、1995年2月10日に亡くなる。そして、この『アブサン物語』の単行本が出るのが、その年の12月のことである。ところで、その1年というのは、いったいどういう年だったか。1月17日には、阪神淡路大震災が起こり、まだ、その余燼冷めやらずといった3月に、こんどはオウム真理教による地下鉄サリン事件が引き起こされたのである。連日のテレビ報道の陰惨さで、時代の空気は、この本の基調となる80年代の空気といったものから、一気に険しいものへと変わっていった年だった。今から思えば、著者がこの原稿を書いている間は、多くの人が、自分たちの社会が足元からひっくり返っていくような危機感や恐怖感を持った、その始まりの年だったのだが、そういう出来事がいっさい出てこないのである。これは、あきらかに著者の強い意思とみるべきだろう。

「アブサンの死の翌日、カミさんの目は腫れ上り、三日間というものもとに戻らなかった。私はカミさんに‘‘辰吉丈一郎の十二ラウンド目”という綽名をつけた。私たちは、庭を掘ってアブサンを埋め、カミさんが故郷の河原から拾って大事にして持っていたという握り拳くらいの小石を、墓石に見立てて上に置いた。」

世の喧騒をよそに、ひたすら「人生の重大な伴侶」だったアブサンとの時間を辿りなおした静かな本になった。

Cat’s MeoW BookSさんを訪れて本書を買ったことの記念に。